shichigatsuiのブログ

書きたいときに書く

駅のアナウンスは有難い

キリスト教圏では、無神論者はレイピストと同じような扱いを受ける、と聞いた時には大変心外な心持ちになった。むしろ、善良であることに神を必要とするのか、と驚きすらした。

日本人にキリスト教徒は少ないけれど、ほとんどの人は思いやりが大切だと思っているし、盗みはいけないと思っている。キリスト教を信じていなくても、同じような道徳心を持っている。

無神論者への恐れは、共通した道徳的基盤を持たないことへの恐れと聞いて、その時にはピンと来なかったが、このところ何となくわかるようになってきた。カーペットの上にたばこの灰を落とす人へのゾッとする気持ちに似てるのかなと思う。アルバイト先の研修で、あいさつをする理由について偉い人が教えてくれた。あいさつをするというモラルを見せることで、人を安心させるためらしい。核心を避けている気がしたが、十分納得した。確かに、道徳的基盤が共通していることは大切だ。

そして最近、なんと日本人の道徳的基盤の由来がわかった。それは、駅のホームや改札、あるいは電車内のアナウンス。「お身体が不自由なお客様には、席をお譲りください」「具合の優れなそうなお客様には、親切に声をおかけください」などなど…。何で小学校の先生みたいなことを駅員さんが言うんだろう?と違和感が大きく、お節介な、と思った。でも、これはきっとローマ教皇の説話と同じなのだ。